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権力者と聞いて、遠い国の独裁者や
歴史教科書の登場人物を思い浮かべて
わたし達とは「関係ない」と思う。
けれど、辞書に権力者とはこうある。
-他人を従わせる力を持った人-
それは決して国を動かすような
人間だけを指しているのではない。
日々の生活の中でわたし達は
誰かと関わりながら生きている。
夫婦の中で無意識に相手を言い負かす
言葉を選んでしまうとき。
親が子どもを愛情やしつけと称して
抑え込んでしまうとき。
上司が部下に当たり前のように
命令口調で接してしまうとき。
先輩が後輩に理不尽なルールを
押しつけてしまうとき。
これらは表面上は愛や秩序の
名を借りていてもどこかに権力の影が
潜んでいるかもしれない。
わたし達はいつも弱い立場に置かれっぱなし
というわけではない。
妻や夫でありながら、親であり、
部下でありながら、先輩にもなる。
しかし、もっと深く見つめていくと
その権力性というものは「外」の相手だけに
向いているとは限らない。
わたし達は自分自身の中にも
支配する心を持っているのかもしれない。
「ちゃんとしなきゃ」
「こんな自分はだめだ」
と自分を責め立てる声が私の中から
聞こえてくるようだ。
それは、まるで自分の中に
別の人がいるかのように。
まず自分自身の、そして次は人の
弱さや失敗を許そうとしない。
自分自身の中の権力者は
時には他人以上に冷酷かもしれない。
人に優しくありたいと願いながら、
自分には不寛容なままであったり。
完璧でなければいけないと信じて、
知らず知らず自分の心を縛りつけてしまう。
気づかない権力性。
それが何より恐ろしいものではないだろうか。
もし今、誰かを傷つけてしまったことに気づけたら
それは「外」からの圧力というより
自分自身が自分を追い詰めている心が
映し出されたのかもしれない。
他者との関係を変えたいと思うなら
まずは自分との関係を問い直すことから
始めた方がいいかもしれない。
「ちゃんとしなきゃ」と命じる声を
「そのままでよくがんばってる」と
時には労わる声に変えてみてはどうだろう。
やさしさとは、そっと「力」を手放すことで
本来の自分を見出すことかもしれない。
こうあらねばならない─
そんな思い込みの種は、幼いころから
少しずつ植えられてきたのかもしれない。
「いい子にしなさい」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「恥ずかしくないように振る舞いなさい」
親の期待や、学校教育の評価、
社会通念という見えない教科書に
わたし達は気づかぬうちに
“正しさ”のルールをなぞってきた。
いつの間にか、自分自身の心よりも
他人の目や評価のほうが大事になった。
そうして、やさしさは少しずつ後ろに下がり、
「こうあるべき」に優先されたのかもしれない。
でも、ふと思う。
ほんとうに、やさしさはそんなにも脆く
奪われやすいものなのだろうか。
いいえ。きっとやさしさは消えたのではなく
静かに、深く、私たちの中で
息をひそめているだけなのだ。
「こうあらねばならない」という力を手放すとき
その奥に隠れていた、本来のやさしさが顔を出す。
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キーワード:#人生 #生きる #権力者
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