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母を忘れたならば、動物となる。
ある先人がそう言ったという。
初めて聞いた時、
私はぎくりとした。
忙しさに流され、
いら立ちに心を曇らせ、
気づけば「母の存在」を
思い出すことすらなかった。
でも、本当に
それでいいのだろうか―。
思い返せば幼い頃、夜中に熱を出した
私の額にあててくれた母の手の温もり。
遠足の朝、黙って握らせてくれた
母のおにぎりの温かさ。
進学に悩み、人生につまずいた時の
母の沈黙のまなざし。
母は、語らずにすべてを知っていた。
喜びも、苦しみも。
子どもが転んで泣けば
母もまた心で泣いていた。
そうだった。
母はいつも、私よりも先に傷ついていた。
私が言葉にできない痛みを
背中越しに受け取ってくれていた。
けれど成長するにつれ
私はそれを当たり前としてしまった。
「ありがとう」
も言わずに通り過ぎ、
「どうしてわかってくれないの」と
責めた日もあった。
今思う。母は、ずっと一人で
戦っていたのかもしれない。
誰にも弱音を吐けず
ただ笑って、支えてくれていた。
その姿はまさに
同苦と慈愛の体現だった。
母を忘れていた私は、どこか自分の人間らしさ
さえも失っていたのかもしれない。
母を思い出す時
胸が痛くなり、涙が出る。
でもその痛みこそが、人間としての
“あたたかさ”を取り戻す感覚でもあると思う。
人生は、何度でもやり直せる。
そして、その度に私たちは「母のまなざし」を
思い出して、立ち上がる。
もし、今、あなたが迷っているなら
どうかそっと目を閉じて――
あの頃の母の声を、手のぬくもりを
思い出してみてください。
たとえ、今はもうそばにいなくても
その愛は確かに、
あなたの中で生きているから。
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キーワード:#人生 #母 #英雄
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