『生きるということ』

心めぐり日和

/

私たちの人生は、「生・老・病・死」という四つの大きな峠を避けることはできません。
生まれた瞬間から始まり、老いが訪れ、病に付き合い、そして死を迎える。これはすべての人に共通した、人生のサイクルです。

仏法は、「避けられないものだからこそ恐れるのではなく、どう生きるかを決めるのは自分である」と説きます。

まず生まれることは、久遠からの願いです。
私たちは自分の意思でこの世に来て、縁をもって生を受けました。


だからこそ、「いま生きている」という事実自体が、最大の贈り物です。
「今日も生きていること自体がありがたい」と。

次に、老いは衰えではなく、深みです。
たしかに若い頃の体力はなくなり、記憶も忘れがちになります。


しかしその分、人生の厚みと温かみが増していく。
「若い時のようにできない」と嘆くのではなく、「だからこそ人の痛みが分かる」と自覚できるのです。
老いは弱さではなく、人間としての修行なのです。

次に、病気になれば誰もが苦しみます。
しかし、病を通して「健康のありがたさ」「支えてくれる人の存在」「命の尊さ」に気づくことができます。
病を抱えながらも笑顔で生きる姿こそ、多くの人を励ます光となります。

最後に死。
誰もが必ず迎える別れの時。

「生きたように死ぬ」。その人の生き様は、確かな軌跡となって未来へと残っていきます。
だからこそ、「どう生きるか」が「どう死ぬか」を決めるのです。

フランスの哲学者モンテーニュは、
「死ぬことを学ぶのは、生きることを学ぶことだ」と。


死と向き合うことは、人生をより深く、より人間らしく生きることに他なりません。
死を恐れるのではなく、「いのちをどう輝かせるか」を問いかける時、私たちの毎日は尊い学びの連続となるのです。

結局、生老病死とは苦しみの連続ではなく、人間らしく生き切るための演出なのです。
生きるからこそ人と出会い、老いるからこそ深まる人間味をもって、病むからこそ分かる慈愛と、死を考えるからこそ分かるどう生きるかの思索。

どれも避けるのではなく、抱きしめ、乗り越えるために私たちは生きています。


わたしは生きて、この一瞬を最高に生きていきたい。

関連記事『答えは、わたしの中に』も合わせてご覧ください。

📺 YouTube連動でさらに広がる「心めぐり日和」
ブログと連動する形で、 心にやさしいナレーション動画も公開中です。
文章とはまた違った温もりを感じていただけると思います。

📺YouTubeはこちら
https://www.youtube.com/@kokoromeguribiyori

🎧Spotifyはこちら https://creators.spotify.com/pod/show/hhrcfsiuii

コメント

タイトルとURLをコピーしました