『自分の中の、十の自分』

心めぐり日和

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人間の心は、限りなく奥深い。


怒りに燃え、苦しみにのたうつこともあれば、一瞬の優しさで人を包み込むこともある。ある時は嫉妬に駆られ、争いに明け暮れる。しかしまたある時は、慈悲の心を燃やし、人を助けずにはいられない。

日蓮仏法では、これを「十界互具(じっかいごぐ)」と説いている。十界とは、地獄界から仏界までの十の世界である。そして、それぞれの世界が互いに含み合っている。

それぞれの十界の中に、さらに十界が備わっているというから、遥かに遠大と言わざるを得ない。要はたとえ地獄界にあえぐ人であっても、心ひとつで仏界を開けることもあれば、仏界の人であっても一瞬の油断で地獄界にも落ちるというのだ。

人は誰しも怒りや欲望に振り回される。地獄界や餓鬼界の心を持つ。しかし同時に、理性を働かせる人界も、喜びを感じる天界もある。さらに、学び悟ろうとする声聞界や縁覚界、他者を思いやる菩薩界、そして最高の境涯である仏界までも、すべてが自分の生命の中にあるのだ。

どんなに苦しみの淵にあっても、その人の心の奥には、必ず仏界が輝いている。これこそが人はみな、仏の命をもっているという日蓮仏法の思想である。

大切なのは、この仏界をいかに取り出すかである。慈悲の仏界は、縁によって顕れ、また別の縁によって覆われてしまう。そして、仏界の光は周囲の人々をも照らしていく。

現代社会は、修羅界のごとき競争に満ちている。利害がぶつかり合い、人間関係が荒れる。しかし、だからこそ、菩薩界と仏界の心を強く働かせたい。他者を思いやり、慈悲をもって行動する。その一念が、社会を温かく変える原動力となる。

十界互具とは、決してほど遠い昔話ではない。日々の生活の中で、怒りに負けるのか、優しさを出すのか。嫉妬に沈むのか、励ましを送るのか。

瞬間瞬間の選択の積み重ねが、その人の人生を形作っていくのである。

仏界は自分と関係のないものではない。わたしの中に、厳然とある。

だからこそ、私たちは希望を失ってはならない。どんな人でも必ず成長し、必ず幸福になれる。その可能性が十界互具の思想に込められているといえよう。

思いやりの一言が、苦しむ人の心に光を灯す。励ましの笑顔が、絶望の淵に立つ人を立ち上がらせる。その積み重ねが、やがては世界をも変えていく。

十界互具の生命観は、一人ひとりの無限の尊さを教えている。だからこそ、自分を卑下してはならない。自らの尊き生命を断つこと、すなわち自殺をすることは、絶対にあってはならない。
どんなに苦しみの中にあっても、あなたの生命には限りない可能性があり、無量の尊さがあるからだ。

自分と人の中にも仏界があると信じ抜く。その信念が、平等な人間関係を築き、平和な社会を開いていく。そして、その第一歩は、自分の心の中から始まるのだ。

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